歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2

おかげさまでパート2の運びとなりました。

歴史や文化、語学、地質、天文に事実と妄想を併立させて楽しみましょう。

先週のNHK歴史秘話ヒストリアはおもしろかったです。
蘇我蝦夷と入鹿のお墓についての考察。
二人の陵墓の可能性が高いと思われている菖蒲池古墳の石棺に、未だ調査の手が入っていないと。
もったいない。
中国のお墓と違って、日本の古代の陵墓には誰をいつ埋葬したか等を書いた墓誌(碑)が出土しない無いのが残念なところです。

それでは、ご興味ある人無い人、読みオンリー、書き込み逃げもOKのこのトピをゆるゆると進めて参りましょう。
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その記事見ましたよ。真備の天才ぶりと、周囲からの信頼のあつさが分かりますね。
藤原氏が彼を恐れたワケよね〜〜。

藤原広嗣の乱では、玄昉と真備が朝廷を乱すとか名指しで非難されたりしてるけど、藤原家の強引なボンボンと、先進国に留学して最新の知識と情報を持つ超エリートとでは、重要性は比べ物にならない。
まぁだから藤原仲麻呂になんだかんだと左遷やら無理難題やらでパワハラされまくっても、結局能力の高さを見せつけて勝ち残る結果になったよね。
唐へ行くのも命懸け、唐から日本へ帰るのも命懸けの時代に、最先端の文化であった経典をたくさん携えちゃんと帰国できた運の強さといい、
入唐すれば時の皇帝にも重用される才能を表し、
帰国後、藤原氏にはいいように翻弄され九州へ左遷されても現地で功績を積み、元正(天武系)~光仁天皇(天智系)まで永きに仕えた吉備真備。
吉備というだけあって地方の出ながら、当時のワールドワイドなスーパースターです。
阿倍仲麻呂は吉備真備と並んでその才を賞されるけど、彼は紆余曲折の後に望郷の念を抱きつつ、唐で客死しちゃったのよね。

朝廷中枢の家柄だけが超ビッグネームのボンボン藤原には嫉妬して、パワハラするしかなかったか~。

字は人となりを表すというから、墓碑の全文を見てみたいな~。息づかいが感じられて、実在したんだと実感できるもの。
バタバタのあまりROMっていましたが。
(表板なんて、エリア板を流し読みしただけ・・・涙)
ついつい乱入してしまいました。

私が百人一首で一番初めに覚えたの
『天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも』
なんです。

しかも小学校低学年だったという・・・。
日本へ向けて出立するに際して開かれた宴で、古今集でいうところの唐土にて月を見て詠みける、歌ですね。
「春すぎて 夏来にけらし白妙の
 衣干すてふ 天香山」
「これやこの 行くも帰るもわかれては
 知るも知らぬも 逢坂の関」
「むらさめの 露もまだひぬまきの葉に
 霧立ちのぼる 秋の夕暮」
「あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の
 長々し夜を ひとりかも寝む」
「いにしへの 奈良の都の八重桜
 けふここのへに にほひぬるかな」

私も小学生くらいからだんだんに覚えだしました…最初の頃はこのくらい。意味がわりと分かり易い歌からでした。

阿部仲麻呂の「天の原…」は、遣唐使について習ってから覚えました。高学年になってからですね〜〜。
歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2
「東の野にかぎろひの立つ見えて かえり見すれば月かたぶきぬ」
雑談画伯(自分で言うかぁ~(笑))としては、画像が見えるヤツが好きだなぁ~♪
人麻呂ォ〜〜。

私は「長々し夜をひとりかも寝む」の語感が面白くて覚えました( ̄∇ ̄)
大河ドラマがらみで、明智光秀関連の番組が増えてます。今日のはお城。城から光秀の意図を探る(…ある意味妄想やんな?)

一山の尾根筋の至る所に拠点を配し、家臣とのネットワークが構築されてる周山城。
家臣や領民との関係を重視した城作り、町づくりだったのだそうですよ。

うーむ、斎藤道三を身近に見ていたとはいえ、名門土岐氏の出自にしては非常に先進的、近代的な考えの持ち主だったようですね。ある意味信長より先に行ってたかも。
信長、家康あたりは気付くよね。信長は潰しにかかろうとし、秀吉は抹殺し、家康は光秀の理想をある程度受け継いだのでしょう…トンデモ説の中には天海和尚は光秀説なんてのがあるくらい。
同時代の蒲生氏郷も領国経営の領主、武人、文人として何れも長けた頭のキレる逸材だったがゆえに、信長には愛され(娘を嫁にやるほど)た一方、秀吉には巧妙に冷遇されたというお話を、知恵泉でやっていました。
光秀もしかりなら、まさに文字通り、群雄割拠の時代だったのですね~。
室町期にもそういう頭の切れる人はいたろうけど、家と職掌がガチガチな世の中では、芽の出しようがなかったのかも。出たとしても中央の記録にはなかなか残らないしね。
北条早雲はいち早く地方で新しい領国経営を成功させたと言えるかな。あとは大内氏、尼子氏とか、多分村上水軍もそうだろうけど。
信長、秀吉、家康とも、本人もかなり優秀には違いないけど、なにより世の中の流れを読み取り、優れた人材を見極めて適所に配するという総合力に長けていたんでしょうね。
若い頃、信長は母親と弟に裏切られたりしたし、秀吉は継父に反発して針売りとか行商やらで糊口をしのぎ、最底辺の足軽から始めた人物。家康は早くに母は離縁されるわ父は家臣に殺されるわ、嫡子なのに人質に出されるわ、多難な幼少期。
蒲生氏郷は戦に負けて織田家に人質に出された三男坊だし、明智光秀も主家の没落で浪浪貧乏生活。
みんな当たり前に家督を継いで順調に育ったのではなく、若い頃に艱難辛苦をなめてきたのよね。それが人を見る目を養うことになったのだろうなと。
思えば、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、伊達政宗も、家臣や親兄弟の問題に悩まされた人らでしたね。
一応今川義元も外部の介入とはいえゴタゴタを乗り越えて来た人。北条氏綱も、父早雲の苦労を見てきて、その後関東支配に苦心した人ですね〜〜。
苦労を糧にしてきた人らなんだよね。
ただ今、NHKで「アイアンロード ~知られざる古代文明の道~」をやってます。

シルクロードより古い文明の道、アイアンロード。人類最古の鉄が見つかったのは、トルコのアナトリア地方、それは紀元前24~23世紀だって!!( ; ロ)゚ ゚。
録画しながら途中まで観てました。
どうやって鉄が広がっていったのか、スキタイの模様と蕨手紋はなんか関連あるのかなぁ…
ぽちくろさん、録画されててよかった!
気になるテーマだものね。

鉄と馬、やはり関係があったんだ~。
そうか、鉄製の馬具の馬銜(はみ)が作れる技術で人類が騎馬できるように→馬による長距離の移動が可能になったのね。

流し見だったから細かい所を追えなかったけど、今回のはダイジェストで、これより詳しい内容はBS4Kで2/7、2/14の22時から前後編に分けて放送予定のようです、ご興味のある方はぜひ( ゚Д゚)ノ。
蕨手紋の手がかりがあるといいな。

日本語はウラルアルタイ語の仲間なんだっけ、そのウラルアルタイこそがまさにスキタイの本拠地なんですな。スキタイとは、その前に栄え紀元前12世紀頃に忽然と消えた高度な製鉄技術を持っていたヒッタイトの流れの部族のよう。
人工衛星という宇宙の目線で見た地形から遺跡を探し当て発掘した結果、それら点在する遺跡はスキタイのもので、はからずも古代の製鉄技術の伝わった道アイアンロードが浮かびあがったという事らしいです。

もう眠くて…、また後日に出直します。
昨晩半分寝ながらうっすらと見ていたドキュメントで、弥生時代には既に日本では稲作をしていたと提議したものの、当時の日本の考古学でその説は認められないまま32歳で夭逝した在野の研究者森本六爾氏を知りました。
再放送だったようで、あぁ、ちゃんと見ればよかったな。

Wikipediaを見ても昨日のドキュメント以下の情報しかない。

六爾氏の説が黙殺された理由のひとつは、稲作を裏付ける遺跡や農機具などが当時は発見されていなかったから。
皮肉にも、彼が逝去して1年も経たぬ間に
奈良の唐古・鍵遺跡で大規模な稲作跡や集落、農機具などが発見されたなんて。
自説を裏付けるそれらのものを、どんなにかその目で見たかったであろうか、と思うと胸が痛みました。
大河関連で光秀特集が相次いだものの、半分も観れてない。というか、だんだん大河ビジネスに乗っかりたい人らの思惑と我田引水的なアピール合戦が…予想もしてたしわかってはいたけど、だんだん鼻についてきた(T_T)これだから見たくなくなる。
乗っかり商売に血道を上げるから、大河が終わるとブームも終わっちゃって閑古鳥になるか、いつまでも縋り付いて寂れた物悲しさが漂うか、ろくな事にならんのよ。掘り起こすならきちんと掘れっての。歴史と事例に学んでくれ。

別件。
今日夜のETV特集は「“ナウシカ”誕生」。
尾上菊之助VS宮崎駿、とか。ちょっと気になるわ…。

0:30から、地味に話題になった山田孝之の
「植物に学ぶ生存戦略」一挙再放送。
教育テレビ時代みたいな超アナログなセット、セクハラぎりぎりの解説を大真面目に語る、いろいろ濃すぎる山田孝之に突っ込みどころ満載だった番組。

が、もっとおかしいのは、その後1:30から「趣味の園芸(再)」をぶっ込んでくる番組編成…深夜だからって遊びすぎじゃね?
知恵泉「平清盛」。
清盛も改革者だからこそ滅ぼされた感。
既得権益や内向きの価値観しか持たない勢力が歴史を歪めていく好例。

平将門は朝廷府の異議申し立てだったが、藤原氏?に滅ぼされた。
清盛は海外貿易による経済の立て直しを進めたが、朝廷が源氏を焚きつけて滅ぼす。
北条氏は武家政治の実質的統治システムを作り上げた(御成敗式目など)が、足利氏(源氏)に滅ぼされた。
信長(平氏)も明智(源氏)に滅せられた。
なんか平家が変革し、源氏が揺り戻す構図だよなァ。現実路線をとるとも言えるけど、美味しいとこを持っていくともいえるかな?ただいつでも朝廷が多少の利を得ているのが何とも言えずザワザワモヤモヤする。
リアルタイムでなかなかタイミングが合わずに見られなくて、うまく再放送を見れたらラッキー、な「中国 謎の民」シリーズ。中抜けやら寝落ちやらで内容が頭からすっとんでることもありますが、印象に残ってるのは、謎の民の多くがいわゆる「落人伝説」を持っていること。戦に負けたり漢民族に追われたりして、急峻な山の奥の奥に住み着いたという伝説です。その時期やエピソードなどから、正史をひもとき探っていくと(これが番組の趣旨の一つ)、始皇帝の秦だったり、五胡十六国の前秦だったり…いや時間的にも距離的にもスケールが大きすぎるやん…

始皇帝の秦の場合、日本にも秦氏の祖が秦から逃げた人だという説もあるし、徐福伝説なんかもありますが、大陸の奥に逃げたパターンもあるんだ〜と、改めて思いましたね。
先日見たのは「白馬」と呼ばれる民族で、それが五胡十六国の前秦の末裔と考えられている、という内容でした。前秦はもう一歩で覇権を握るところまで行ったけど、漢民族に負けて国が弱体化し、滅びた国。
祈祷師が持ってる経文の文字が明らかに漢字と違うなと思ったら、氐族というチベット系の民族で(だから“胡”=異民族)、類似というか共通してる集団としてはミャンマー人がそれにあたるとか。言われてみればどことなく南方系の顔立ちでした。
でもそんな奥地とか南方まで逃げなきゃならないって、どこまでしつこく追われたんだか…

でも現在でも、民族の伝統家屋を全部壊して高速道路と観光村を作ろうとしてるって…チベットやウイグルとかでも漢化政策が激しく、宗教や文化も統制されつつあると言うから、漢民族以外の文化を認めようとしない思想は今なお強いんだなと(だから歴史上も胡と呼び続けてる)…、そのあくなき執念は一体何なのか…恐っ。
「英雄たちの選択」治水三傑、という少し変わった切り口での紹介でした。
人間の都合に合わせて川は流れないという話。そして今やノーリスクはありえない。地形と地質をよく見て、時間を稼いで、少ない被害でやり過ごすという仕組みを考えなければならない…確かに、これだけ開発が進んでいたら、ノーリスクの土地なんてまずないんですよね…。

少し前に「日本人のお名前」で少しやっていたのですが、奇しくも地元三河の矢作川の堤防、昔ながらの堤防強化策として、石組みの間に柳が植えられているそうなんです。柳は水辺で育つ植物で、堅牢な根を沢山伸ばし泥や石をしっかり抱き込むので、決壊しづらくなるとか。コンクリートで固めればいいというものではない(コンクリートは風化やヒビ割れから決壊する)。効率的という浅はかな都合で川は流れないのだなと改めて思いました。
お疲れ様です!

川の傍の柳、意味があるんですね~~全く思い至ってませんでした。
なるほど、なるほど朝から1つ勉強になりました。
何事も根拠があるからこそ現在もそれを引き継いでるのだなぁ。
福岡の柳川市、そのままの地名だ。
もしかして全国にも「柳川」ってあるのかしら…
川沿いの桜並木にも、同様な理由があるそうです。
それと春になるとたくさん花見客が来て、土を踏み固めるので、土手が強固になる聞いたことがあります。
昔の人の知恵ですね(^^)
日本人のお名前、その会は見てないので詳細は分からないのですが、三河出身の知人に畔柳さんっていたな…と思い出しました!

「危ないでグロ寄りん」のグロだと彼女は言っていましたが、このグロも盛り土のアゼ(畔)やホトリ(畦)から転じてる言葉みたいですし、治水とか周辺の風景なんかと関わっている苗字なのかもしれませんね。

ただ、自分の知ってる限りの矢作川は土手に柳の木の風景はないのですが、どこかに原風景的に残っていたりする場所があるのでしょうか?
初めまして!です。

柳川には多少縁があるので、少し気になって調べてしまいましたが、柳川市の公式サイトによると地名の由来には説がいろいろあって分からないみたいですね。
→ https://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kyoiku/rekishibunka/rekishi/chimei.html



ぴゅうこ@久山様のコメントで、久々に柳川の地名を目にしたので、行って夜明茶屋で謎の食べ物を色々と食べたくなりましたー。
権力を恣にした白河上皇が思い通りにならないものの1つに挙げたのが鴨川の水。
賀茂川と高野川が合流して鴨川になる場所の名前は出町柳で、これも治水対策の柳に由来するのかもしれませんね。
ここは川岸の桜並木も見事です。

西日本豪雨の半年後に岡山県真備町に行ったとき、地元の方に教えていただいたのですが。
昔からの石垣は隙間から水が抜けて持ちこたえたけど、コンクリの擁壁はしみ込んだ雨水による内側からの圧力で崩壊した、とのことです。
先人の知恵は時に科学に勝る。
科学万能信仰は根強いですが、盲信せずに疑う、用心することも必要だと思いました。
微生物を使ってひび割れを自己治癒させるコンクリート、というのも開発途中だとNHKの科学番組で見ましたが、実用化には時間がかかるでしょうし。
矢作川の堤防のどこだという紹介はなかったのですが、柳といえばイメージする枝垂柳じゃなくて、ぱっと見普通の樹木みたいな種類なんだそうです。

おそらく河川敷や土手には従来から自生したり植樹したりされていたんでしょうね。そこから地名がつけられるということも珍しい事ではなかったでしょうねー。

桜並木も踏み固めるからって、江戸であった話だったかなァ…あと桜は水分のほうに枝を伸ばすとか聞いたことが。キレイだから植える他に根も張るだろうなと想像。

田んぼの畔や土手に彼岸花を植えるのも、あの花の根の毒をモグラや狸が嫌って穴を掘らないと言われてますね。

「英雄たち…」の磯田先生は岡山の人で、江戸時代に地元の治水に尽力した、津田何とか氏を治水三傑に入れて紹介されてました。同時に石で作ったカマボコ型の堤は今も補修されながら残っているそうです。
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そうなんデスね。
河川沿いの桜と聞いて、京都八幡の背割堤の桜を思い出しました~。
宇治川と木津川を隔てる堤にソメイヨシノが1キロ以上にも渡って植えられていて桜が咲くと壮観のひとこと。堤の補強を兼ねていたのデスね。
わたしの中でソメイヨシノの花見所暫定一位デス。
真備町の資料館は中近世の治水対策が中心でした。
磯田氏寄贈の古文書もありましたよ。
資料館はちょっとした丘の上という印象ですが、川に比べるとそれほど標高差がなく、西日本豪雨の際には浸水の被害を受けたそうです。
川があったからこそ交通の要衝として栄える、でも川があるからこそ時には被害を受ける。
日本は地形的に天井川になりやすいし、その場合は周りより高くても川より低い場所が意外とあって、決壊・越流したときには思わぬところまで水が来る可能性はありますよね。
以来、旅先では自然災害を記した石碑が気になります。
初めまして~~♪
柳川市にご縁があるのですね!
私は福岡市在住で、柳川は2度だけ訪れた事があります。有名な川下りと鰻を目当てに♡
福岡市内からだとなかなか遠くて、小旅行感覚なんですよね。
さげもん祭りにはいつか必ず行こうと思ってます。

リンクありがとうございました。拝読してみて「柳河」表記していた事もあったと初めて知りました。こうやって、ちょっとした会話で話が弾むのは嬉しいですね...♪*゚
調べてみたらカワヤナギという種類みたいですね。>矢作川の柳

写真で見てみましたが、次に矢作川沿いを走った時に「アレがそう」と分かる自信が全くありません(笑)。


桜の見物人で踏み固めるのは江戸開幕時の家康公の治水事業だと以前テレビで見ました。

自然の猛威と共存したり受け流したり…そんな以前の知恵を見習うべき時が来ているのでしょうね。
義父母の出身がそちらの方で、結婚時には義祖母がご存命だったのでご挨拶に、その後葬儀に・法事に…と何度か行ったことがあるのです。
私は東海地方在住ですが、福岡在住のぴゅうこ@久山様よりも行ったことある回数が多いことになりますね。なんだか不思議です。


そうそう「さげもん」有名なんですよね!

義父母と同居している姪っ子ちゃん達のお雛様にはそれは立派な「さげもん」が一緒に飾られていました。単品でもすごくステキなので、それが沢山あるところは壮観だと思います。ぜひ行った際には感想を教えてください。
私も多分「あれがカワヤナギ」とは分からないですねー…堤防はまず走らないし…

「とにかくウチだけは絶対ノーリスクでなくちゃ」というのは捨てた方が良さそうですね。もちろん災害に遭わないに越したことはなくても、もしもの時に最小限で済むように、リスクは正しく知って備えるべきなんだなぁと。
人の都合で雨は降らないし川も流れない。人の都合で山を崩し表面だけコンクリートで覆ったところで、土も人の都合のいいように固まってはいないのですよね。山は崩れるもの、川は溢れるもの、大地は揺れるもの、海は大波を寄越すもの、そんな風に覚悟はしないといけないものなのかも。
「起こって欲しくない事」は「起こらない事」ではないですもんね。
先日矢作川を渡ったので、どれがカワヤナギなんだろうかと目を凝らしてみたけど、やっぱり分かりませんでした…そもそもどのあたりに植えられてるのか知らないし…
ただ、本当に川岸、護岸コンクリートは眺めていた範囲では見当たらず、石がぎっしり積まれてるようなのと、所々に木が生えているのは見えたかも。カワヤナギを植えた現場はあちこちにあるのかもしれないですね。

それとはまた別に、田舎町に散策に出かけた際、瀬にゴロゴロしてる岩の間から木が生えていて…フワフワした花がたくさん…ネコヤナギだったのです。辺りを見ると、岩やら護岸の隙間から大小のネコヤナギ。おそらくは種か枝が流れ着いて自生したもののようです。
ヤナギとつくから近縁種とは決めつけられないけど、ネコヤナギもきっと水辺に強い木なのだなと…そういえばネコヤナギ、早春のイメージとして、背景に似合うのはせせらぎですよね…田園ではなく、畦道……やはり水辺に縁がありそうな木なんだなと、ちょっと印象を改めました。
今夜24日22時からNHKGで

「ミステリアス古墳SP」全国えりすぐり6古墳 古墳と巨石と魔鏡、ハデ壁画

やりま~す( ゚Д゚)ノ。
録画予約完了〜( ̄▽ ̄)〉
やった~マン♪
歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2
H&D「ドロンジョさ...じゃない、びょーびょー様ぁ~!」
ポチッとな♡
選りすぐり古墳だから、まぁ仕方ないかもだけども〜…いろいろと言いたいことがたくさんたくさん有るけれども〜
「食いたりねぇぞ!」
「掘り下げ方が足りないぞ!」
「持ち上げすぎだぞ!」
…総合的に、歴女には物足らない。
なおかつ、ロマン過剰は興醒め。
予測はしていたけど、ああも騒がれちゃねぇ…
MCからして昼オビならぬショーぽかったデスね。
真ん中あたりを見ていて寝落ちしちゃった~。ゆっくり録画を見ます。
やっと見終えました。
ひとつの古墳で1時間持ちそうな素材なのに。もっと各古墳の詳細なプロフィールを知りたかったな。
前方後方古墳は初めて知ったぞ。
東北レディースの情報、もっとプリーズщ(゜▽゜щ)。