歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2

おかげさまでパート2の運びとなりました。

歴史や文化、語学、地質、天文に事実と妄想を併立させて楽しみましょう。

先週のNHK歴史秘話ヒストリアはおもしろかったです。
蘇我蝦夷と入鹿のお墓についての考察。
二人の陵墓の可能性が高いと思われている菖蒲池古墳の石棺に、未だ調査の手が入っていないと。
もったいない。
中国のお墓と違って、日本の古代の陵墓には誰をいつ埋葬したか等を書いた墓誌(碑)が出土しない無いのが残念なところです。

それでは、ご興味ある人無い人、読みオンリー、書き込み逃げもOKのこのトピをゆるゆると進めて参りましょう。
返信 121-160/500件最新の投稿へ
江戸がうちこわし程度で済んだのは、うちこわしされた方の商人たちがむしろ金を出し合って、セーフティネットのような組織を立ち上げ、非常用の米を備蓄して運用したのだとか。
またその後江戸直下地震が起こった時も、町火消しによる防火、奉行所の「お救い小屋」スピード設置、備蓄米を利用して救済に当たったので、復興も早かったと。幕府も働きかけはしたろうけど、それより奉行所や町人の力というか、オレらの江戸だからって意識が強かったのかもね。
フランスの場合は、農民の困窮に対して無策だった上に、貴族たちが危機感なく贅沢を続けて、恨みを買って、結局ギロチンまで行ったと。市民の飢餓状態は相当ひどかったらしいですから。
お江戸のその仕組み、今より整っているとも言えますね。
「オレらの江戸」意識、いいネ♪
はてさて戦後の日本ではオレらの……って愛着を持つ事が薄れてきてる気がする。

そういえばお江戸の火消しは、今みたいに水を掛けて鎮火させるのではなくて、延焼をくい止めるために長屋なんかはそれこそ打ち壊す、叩き壊したんですね。
なので建物はそれ前提で普請してあったと知りました。

君主をギロチンだもんね~。
パンがなければお菓子を…と言ったくらい民衆と乖離してたんだもん。
今日の「英雄たちの選択」承久の乱ですね!室町から鎌倉に遡り、頼朝の子孫が絶えながらも、武士による政権運営が確立されてくきっかけになったといえる出来事ですねー。見なきゃ〜〜。
こーいうコトを、歴史の授業ではチラッとしか扱わないんだよなぁ。だから「なぜそうなった」が分からない、なんにもつながっていかない教科になるのよね。

私の場合はいろいろ繋がりすぎ?イヤァ面白いんだけどなァ。
承久の乱、後鳥羽上皇の選択。選んだけど、やっぱり殿上人の誤算つうか、優秀なだけに、自分以外が悪いのだとしか感じられない(立場上当然だけど)のは致命的だなぁ。地下人なんぞはどうにでもなるもんだという…

当時の朝廷と幕府では、みてるもの、みえてるものが違う。価値観というよりもっと基本的なことが違うのだと。なるほど〜〜

ちなみに、来週は再放送なのかな「倭の五王」です。私としてはとても興味深かった回だと思います。古代史の眼が開く感じですよね〜。ぜひ!
今日の「知恵泉」、大悪人松永久秀ですねー。最終的に信長に逆らったから大悪人扱いされてるけど…確か、寺社勢力やら応仁の乱やらの絡みで、畿内は小競り合いが続いて無秩序状態に近かったんじゃないかと思いますが…そこで力をつけてきた人物なので、一筋縄でいくはずのない梟雄ですよね。また武力だけでなく茶の湯などの文化的素養も高い。信長さえ出て来なければ、充分に天下を狙えたはずの人物ですから…面白そうです。
松永久秀、思った以上に普通の武将、ただし相当な能吏だったんですねー。
「名」が「家格」を決め「職」を規定するということが社会的基盤だったとは…秀吉や家康から、なんとなくそう思ってはいたけど、はっきりそうなんだなと納得できました。
源氏系とも平氏系とも分からない、守護職の家でもない土豪出身なら、まあ足軽大将あたりが関の山だろうに、文才や交渉術に長け、事もあろうに主君の右手にまでなったら、いわゆる「俺の先祖は」「代々主君に使えて」とかをアイデンティティにしてる一般の家来たちにとって、誇りを汚されたに等しいんでしょうね。
本日の「英雄たちの選択」、
平将門です!いよいよ来た〜〜!
反逆者にされてるけど、それだけじゃないんだなぁ〜〜。奥も根も深い、朝廷対地方のせめぎ合い…後の世の都への意識もつながっていくはず。何か理解のヒントがあるはず。是非!
うーむ。思ったほどでもなかった…
残念。

次回は木曾義仲…
えー!藤原純友はスルーなの?反乱とまでは言えないから?将門ときたら純友ちゃうのか〜〜(風と雲と虹との印象が強すぎる)
平安中期ごろのアジア情勢が知りたいぞ〜。ウィキ他巡ってこよう…
ヒストリア「室町三大事件」。
うん、まあわかりやすくまとまっていたと思います。ただ時間的に無理だけど、各事件の背景や事情まではなかなか踏み込めないんだろうなと。特に嘉吉の乱には。将軍義教は幕府の権威回復に努めたとはいうものの、それはある意味強権発揮でもあるんだよねー。赤松満祐には、かなり威張り散らしてたようで。
徳政令と結びついて、結局板挟みとか既得権益の侵害とかが絡んでの暗殺でもあったのかなぁ…「徳政令」も読まなくちゃ( ̄∀ ̄)
「英雄たちの選択」木曽義仲。
うーむ。なんか骨折り損のくたびれもうけな人だったのね。
義仲が信長、義経が秀吉、頼朝が家康みたいに最後に美味しいとこをさらうという図式という説明がわかりやすい( ̄∀ ̄)
家康が頼朝好きだった理由がわかるってものよね、自分と重ねていたんだわ。

木曽義仲の手勢が都で狼藉を働いたから田舎者だと嫌われたというけど、木曽や北陸で都に散々収奪されてきた人らが兵士なんだから、そりゃ都の奴らには恨み骨髄でしょうよ。きらびやかなのは誰のおかげだ、このコメは俺らが育てた物だと思えば、奪いたくもなるよね。それを田舎者と嫌う都のメンタルも、憎悪の対象になるでしょうよ。力で痛めつけたくもなるわよね。結局それが政治力のなさではあるのだけど。
そう思うと後白河院のやり口を知ってる頼朝がめっちゃズル賢い( ̄∀ ̄)。自分は直接表に立たないで、後でトカゲの尻尾切りのように義経を始末して、奥州を奪うんだからねー。

奥州にしてみれば、都とうまいことやって独自の政治をしていただけに、頼朝のやり口が本当は気に入らなかった人らも多いはず。だから、義経伝説が根強く残るのもむべなるかな。そういえば真田が生きて落ち延びた伝説があるのも薩摩あたり。家康にガッツリと不満がある地域だもんね。
さすがぽちくろ大師さま、お見事です!!
久しぶりにここを最初に覗いたら嬉しくなりました。木曽義仲は義経と境遇が全く同じですね。実は義仲は義経より美形だったそうですよ。

今日はリハビリのつもりで少ししか読めませんが時間を見つけて他のトピを少しずつ読んでカキコミできたらと思いますのでご迷惑でしょうがどうぞ宜しくお願い致します。
あ!ながきねずサンだ~(*´∇`*)
お久しぶりで~す♪
迷惑なんてナイナイ(ヾノ・ω・`)ムリのない程度で復活!!待ってま~す♥️
秘書~‼
待ってたよぉ~(>д<)ノ

こっちにも顔出さんかぁ~‼って言うトコだけど
(  ̄▽ ̄)ニヤリ
ゆっくりボチボチ、来てね~♪
わ!お久しぶりのながきねずさんだ〜〜
(^∇^)

番組で戦国の三英傑と並べる解説があって、すごく腑に落ちたんですよねー。
義仲が地方の勢力を結集して、平家が固めていた都の秩序を破壊したけど、信長同様、既成勢力に嫌われ排除される。
義仲が破壊したところに義経や秀吉が来て、ほぼ地方の武家勢力を一つの方向性にまとめあげる。
だいたいまとまったところで、不満やひずみの部分は義経・秀吉と一緒に蹴倒して、美味しいとこをごっそり持っていったのが頼朝&家康。なんてタヌキだ。

義仲って一応頼朝や義経の従兄弟くらいに当たるんでしたっけね?義経とは確かに似通った境遇ですねー…育った環境が違いすぎて、結局それが政治力不足につながってしまったのでしょうけれどね。
歴女倶楽部&amp;コッ地会 合同部室2
クン..クンクン....クン♪

ミティ「なんか、いい匂いする~♪」

チャピ「美味しい試食、やってるのかな?」

グレープ「違う!ながきねず様の優しい香りだ!」

クン..クンクン....尼崎へGO≡≡≡ヘ(*-ェ-)ノヘ(*-ェ-)ノヘ(*-ェ-)ノクンクン
ぽちくろ さん

室町時代って250年もあったって、わたし的に改めて衝撃でした。
文化は人気だけど、政治的にはあれやこれやと長期的な争いが疲弊を招き、それが歴史を学ぶ上にも厭世感がダダモレで今まで不人気な理由だったのかしら。

切り口を変えて見せてくれると、その後の時代にどう繋がっていったのか、フムフムとうなづけました。番組上無理なんだろうけど、確かにもっと詳細が知りたくなりますね。


ながきねず さん

ほんとにお久しぶりです。このトピ創設の立役者のおひとりで、わたしなどは若輩者でございます。
またお時間ご体調の許される範囲でお顔を見せてくださいね。
南北朝が絡むとね…多分なんですが。

足利家の寺、昭和の戦前戦中にかけてはかなり没落しかけていたとか、水上勉さんの本でちらっと読んだんですよ。しばらくその寺で小僧修行した時期があったのだそうです。

戦中にかけて、いわゆる国威発揚とかに南朝系の話がよく使われていたようで。楠木正成の歌とかね。太平記は江戸時代から人気の読み物だったらしいですが、明治になって南朝系の復権というか名誉回復みたいなことが行われたようです。だから天皇家に不敬だってことで、足利ゆかりの寺は保護をされなくなった。

国威発揚に利用された、そのあたりが戦後になって色々と腫れ物に触るような事になったんじゃないかなと私は想像してます。利用された事を知っている年代が学界や教育の場から去るまでは。研究はされてたろうけど、上から良い顔されないとかさ。資料が少なかったかもしれないし、あっても探されなければ出てこないものだし。それがやっとまともに調べられてまとめられるようになったのかなぁと想像してます。
徳政令の本だけ少し古そうだったけど、これは「民衆史」みたいなもんで、直接南朝や北朝の話には突っ込まなさそうだもの。マイナーなだけで。
ぽちくろ さん

そっか、明治の王政復古ね。
本来なら楠木正成は負けた方だけど天皇に対する忠義という意味では、明治以降の国策にはもってこいな人物だったんですね。
軍記物では人気のある人物でしたし。
それで割りを食ったのが、足利家なのか。確かに天皇家をないがしろにしたイメージだわ。
結局、北朝が今に続くが正統は南朝だったという話でしたっけ?

まもなく平成が終わりますが、ここに来て室町に改めて関心が集まるのも、なにか今と共通するものがあるのかとも思います。
いつもお優しいお言葉、あいがとうございます。
以前のように皆さんとの時間を楽しめたらこんなに嬉しいことはありませんね。今でもアンメルツ事件が思い出されてふっと笑ってしまうこの頃です。
大変ご無沙汰しております。最初にまず卵オーナー様にご挨拶しなければ・・・と思いましたがあまりにも多くのトピに出ておられますのでどこにするべきか迷ったのですが・・・大変ご心配おかけ致しまして本当に申し訳ございません。
でも卵オーナー様の周囲には大変な有能なお方々が多くいらっしゃいますのでとても嬉しく思います。H&Ⅾも顔文字から8Kリアルカラーに変身されててすごいです!アナログながきねずは全然進歩してなくてお恥ずかしい限りですね。
歴女倶楽部&amp;コッ地会 合同部室2
「鶴浜IKEAの隣にコストコ誘致」で政界進出時の秘書殿~♪
選挙運動ヘルプ、待ってるでぇ~♪
H&D「ウチは超ホワイトだから、ゆっくり出来る範囲で来いよぉ~」
タイヤクーポン活動も、やってんで~(  ̄▽ ̄)
やっぱりここが落ち着きます・・・(苦笑)

源義仲は頼朝・義経従兄弟の長兄・義平に父・義賢を討たれて木曽に逃れて成長、木曽義仲と名乗る。
義経と五歳違いですが生涯が全く同じですね。
・二歳の時に父を討たれる
・命がけで守ってくれる家来
(義仲・今井兼平、義経・武蔵坊弁慶)
・愛妾が美女
(義仲・巴御前、義経・静御前)
・息子を頼朝に殺される
(義仲・義高、義経・静の子)
・後白河法皇に振り回されて最後頼朝に討たれる
・享年31歳

歴史上でもそこまで似通った従兄弟はいないと思います。
しばらく見ぬうちに美しゅうなられましたね~もうお嬢様受験は終わりましたか?あれの禁句はもう使っていませんよね?そう、し、ど、い、です~

まあ~さん、いつも楽しいこぐまちゃんたち物語、(人''▽`)ありがとう☆
木曽義仲の武力の背景は「馬」「日本海側の海上交通、都の食料庫である地方勢力」…物資と機動力、実戦でつちかわれた戦闘能力。
義経の背景は「奥州藤原氏」「東北の金(きん)」「海外交易の利」…自治力とそれを支える財力。武蔵坊弁慶たちの活躍を思うと、一部寺社勢力もあった?

頼朝が持ってるのは、源氏の嫡流であるという自尊心と、都育ち故の政治力しかないですね。それを最大に発揮したわけですが…。弟や親戚から奪ったものだから、いつ奪われるか分からない。近しいものこそが危険、と、なるのも分かりますね…。
こちらこそ盛り立てて下さって大変感謝しております。ここは専門家みたいに堅苦しいじゃなくて、井戸端会議の如く歴史や地学などの面白味を伝えたらいいなと思っておりますのでフォローをお願いいたします。

ちなみに山形シベールのラスク、うちも好きです!
お久しぶりです。
何と声をかけようかと悩んで挨拶が遅れました。
私と子ココア元気です。子ココア病気も治って元気です。
歴女倶楽部&amp;コッ地会 合同部室2
なーがーきーねーずー様ぁ~

ミティ「何時までも子供扱いすると、どついたるでぇ~♪」

チャピ「アタシ達『さつまいもケーキ』だって食べられるモン♪」

グレープ「だから、茶ァしばこうや~♪」

ヌヌ「いてまえ➰!」
明日BS「巨大遺跡」万里の長城です。始皇帝時代?の石組みが意外な場所で見つかったとか、康熙帝時代の簡易型の長城とか、さまざまな形で作り続けられた長城を紹介するとか〜〜…見る〜!

てか、清代でも建造してたのね。漢民族からしたら満州族も異民族だけど。匈奴ほどの敵対心はなかったのかな?
半分くらい見て寝落ち…おかげで録画かけてなかった「名古屋城」は見落とし。…まあ内容は多分だけど想像がつくから録画迷ってたのだけど、見れないとなんか残念。

半分見た「万里の長城」、明代が一番盛んに作られたとか。まあすぐ前が元だから、反攻を警戒したのかもね。でも明ってそこまで強大だったかな…?って印象。これも勉強しなおさないと。
奇しくも年代的には「徳政令」の室町期と大体重なるような?
ぽちくろ大師さま
惚れ惚れするご講談・・・知人の東大講師に紹介したいですね。うちなんかワイドショー並みの知識しかなくてお恥ずかしい限りです。あ、そうそう、昨年、加藤剛さんが亡くなられてまもない頃だと思いますが、NHKの「あの日あの時あの番組」に「風と雲と虹と」の最終回が出ましたけどご覧になりましたでしょうか?実はここにお知らせしようとパソコンに向かうにもうんともすんとも動かなかったので泣く泣く諦めました。本当に申し訳ございませんでした。

ココアさん
お気にかけてくださってありがとうございました。お元気そうで何よりです。
見ましたよ「風と雲と虹と」最終回。
記憶にあるとこないとこありましたが…とても懐かしかったです。
意外に森昌子が上手いという( ̄∀ ̄)
わずかな知識を、想像と妄想で膨らませております( ̄∀ ̄)

でも、文献には出てこないけど、支援者がいるってことは、支援したい理由があるってことですもんね。いくら武士でも、強さだけではついてこない。金なり土地なり、利益が見込まれなければ、ついて行く理由も侵攻する理由もないはずですもん。
いろんな番組での解説あればこそ、想像の翼も妄想の水かきもジタバタしてみる気になるってものですわ〜〜。
歴史は人間が作ってるのだし、思考回路は変わっても、人間の本質はそこまで変わらないはず。

頼朝としては、弟と従兄弟が持ってる金と力は、喉から手が出るほど欲しいものだったでしょうねぇ。政治力を駆使して奪いはしたけど、源氏の末裔を支援したがる地方勢力がいる限り、自分以外の源氏の血は絶やすか貶めてやらないとマズイ。それで徹底したのはいいけど、自分の子まで早く絶えちゃったのは皮肉。

残党狩りのためには義経がらみの十三湊は潰さざるを得なかっだろうけど、交易に関しては朝廷の貴族たちが商人たちのほとんどを掌握しているはず。だってそういう文化を押さえてるのが権威の源なんだもん。平家に海を押さえられて権益も権威も失墜しかけたから、なりふり構わず源氏を利用して平家を潰したのでしょう。頼朝はきっと分かっていたから、交易にはそこまで口を出さなかったのかなぁとか考えちゃう。
遅くなりました、ポンコツPCとポンコツ眼でなかなか返信できなくてごめんなさい。
頼朝と同じく自分の子孫を絶えてしまった歴史人物がいらっしゃいますね。
そう、持統天皇です。彼女は自分の直系にこだわるあまり夫の天武天皇系の皇子たちを排除したんですね。天武天皇の後継者・草壁皇子が急逝し、孫(後の文武天皇)が幼すぎるため、自ら持統天皇となって後に継がせたわけです。そして天皇の証となる「三種の神器」を設け正統性を高めたのが持統天皇といわれています。でも結局天武・持統天皇系が絶え、天智天皇系、志賀皇子の子・光仁天皇が継いで今に至ります。ややこしいですね。

頼朝がああいう性格になったのは平治の乱で敵平清盛に助けられてのちに平家を滅ぼすわけですからいかに生まれたばかりの赤子であっても容赦しなかったでしょうね。それと奥州の金に固執したのは先祖・頼義のDNAが入っているから?と想像しますね
ここを読んでおられる皆さま、どうかうちに気兼ねなくおいで下さいませ、どうかよろしくお願いします。

今年の大河ドラマについて・・・今年は髻(もとどり)がないせいか違和感を感じて見る気が湧きません・・・早く来年の「麒麟がくる」(明智光秀)が見たいです!
ところで最近の戦国ドラマに異議アリ!と叫びたいです~
なぜ織田信長は月代にしない!?他は皆ちゃんと月代姿で出ているのに。信長はイケメン俳優が多いから似合わないと拒否するからか?
なお月代とは頭のてっぺんの髪を剃って髻をのせるヘアスタイルです。
歴女倶楽部&amp;コッ地会 合同部室2
H&D「俺達、ウチュウジン。月代?ゲツダイ? 頭のてっぺん剃る?なんちゅうモッタイナイ!!」
肖像画もちゃんと月代剃ってますよね。
本来なら兜をかぶる必要がある地位の者こそ、剃っていなきゃおかしい。
茶筅髷にしていた若い頃ならともかく。

…ドラマ制作側からは、破天荒ぶりや常識外の雰囲気を演出するために月代してないのかもね。
「月代」は「さかやき」と読みます。
兜をかぶった時に蒸れたりズレたりしないように天頂部を剃るんです。剃らないのは、武士の中でも無役とか、特定の所属先がない武士。もしくは前髪がまだある元服前。要は「例外」なんです…
英雄たちの選択「立花宗茂」。
多分九州では知られているけど、一般的には少し知名度低めかも?そのせいか宗茂の紹介に近い内容でした。
ただ戦国武将としては、稀有なくらいオープンでこだわらない人のようで。下手なプライドや恨みより、目の前の問題に最善の対処をしようという在り方は珍しいですね。真田幸村が戦いへの執念を捨てていたらこんな風だったかも?お互いを惜しんでいたろうなと想像。

土曜日の「歴史大実験」は、秀吉の大返し。まじ走るのか?
中国王朝「巨大遺跡」シリーズ、
「大運河」と「城郭都市 西安」。
大運河を作らせて運用しだしたのは、悪名高い隋の煬帝。大工事を急がせた上に無益な戦争を仕掛け、すぐ滅んでしまったから酷評され続けていたけど、実は運河の恩恵を受けた唐代には再評価されて墓所が作られたのだとか。でも埋葬されたのは「歯」しかも2本だけ…。相当恨まれていたのね。
西安は、その前の秦の都咸陽から近く、防御に適した地として、漢の劉邦が築かせた都。不安定だった前王朝の記憶がある当時としては、すぐ近くにどでかくて威容を誇る都をつくることが、民心の安定につながると…。なるほど〜面白い。