歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2

おかげさまでパート2の運びとなりました。

歴史や文化、語学、地質、天文に事実と妄想を併立させて楽しみましょう。

先週のNHK歴史秘話ヒストリアはおもしろかったです。
蘇我蝦夷と入鹿のお墓についての考察。
二人の陵墓の可能性が高いと思われている菖蒲池古墳の石棺に、未だ調査の手が入っていないと。
もったいない。
中国のお墓と違って、日本の古代の陵墓には誰をいつ埋葬したか等を書いた墓誌(碑)が出土しない無いのが残念なところです。

それでは、ご興味ある人無い人、読みオンリー、書き込み逃げもOKのこのトピをゆるゆると進めて参りましょう。
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ぽちくろさんとシヴァさんのおかげで、
「阿蘇カルデラ」「東京ミラクル」「ポンペイ」の3番組を録画とリアル視聴で見られます、お知らせありがたかったです。
阿蘇カルデラは修学旅行では大雨で見られず、山頂で代わりにと阿蘇の成り立ちなどのフィルム上映だったんだな~。
先日、やはりNスペで、温暖化型水害にどう備えるのかをテーマに、昨年の西日本豪雨を取り上げていました。で、結局のところ、行政の対応には限界があり、自分で情報を集めて早く行動するのが一番なんだということ…
お天気マニアな私としては「だから天気図や地形図は読めなくちゃ損なんだ」なんて思っちゃうわけですが…( ̄∀ ̄)

避難を判断するのは難しいですね。
誰も自分が住んでる場所が危ないなんて思いたくないしねぇ。
やっと阿蘇カルデラ、東京ミラクルを見終えました。
阿蘇カルデラ、黄土の本家本元。
古墳まであって、びっくり。
縄文人は野焼きしていたかもだって、空間だけでなく時間軸的にも広大で聞くだけでワクワク。
世界不思議発見のポンペイ編と映画「君の名は。」が奇しくも同時期に放映され頭の中がいい感じにミクスチャーされて充足感あったデス。

JRの指令室。
鉄にはたまらない空間よね。
朝から事故が重なり秒単位で運行の調整を緊迫感の中で行うのに、
携わる指令の人たちがお上品というか冷静沈着というか、怒号が飛び交うような感じではなかったですね。
鉄道のダイヤを組む人を筋屋といいエリートなんだと聞いた事あるんだけど、
運行指令は数学と心理学に長けていて、なおかつ、鉄道が好きじゃないと務まらないわ。
気象庁が、あす3日から4日にかけて九州に災害級豪雨が降る予報を出し、警戒を呼びかけていますね。中でも1時間に80ミリの雨が降る可能性があるとか。ピンとこないかもしれないけど、これ、東海豪雨での時間雨量と同じなんです。だから、ハザードマップで少しでも浸水域に入っていたら、早めに避難の判断をした方がいいと思います。
街中でも、1階や地下に電気設備や給水ポンプがあるマンションなんかで浸水が起こったら…?水やトイレ、食料を確認した方がよさそうです。

しかもずっと大雨が続いているから、土砂災害の危険度は東海豪雨どころではないはず。東海豪雨でも、山間部では家が土地ごと流れたり、学校のプールが浮き上がったりしていたんです。家で迷って気を揉んでいるくらいなら、誰かと避難した方がうんと心強いはず。

避難も食料も、空振りになれば幸い、何かあっては遅いです。

九州のみならず、四国や近畿でも大雨が予想されてます。積算雨量は西日本豪雨を超えるかもとか。広島の真砂土まで脆くはなくても、西日本は基本的に花崗岩質が多いから、似たことが起こらないとも限らない。また大阪の中心地はほとんどが低地。川や堀だらけ…雨を全部受けられるかどうか、逆流しないか、心配はいろいろです。

気象庁の天気情報、国土交通省のハザードマップ、市町村のハザードマップなど、よく確認をしてみてください。

予想時間雨量が東海豪雨レベルと知って、本当に危機感を持ってもらいたく、余計とは思いつつも敢えてさし出口をしてます。80ミリ、雨ってこんなに激しく降るものなのかと思う勢いと、地面に穴が空きそうなすさまじい音を今も思い出します。

本当に本当に警戒してくださいね。
出来れば川を渡らず、避難や帰宅困難に備えて洗面具とか食料を。貴重品は高いところへ。スマホの充電なども十分に。
そしてそれらがすべて杞憂に終わることを心から祈っています。
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国土地理院が『自然災害伝承碑』を、順次地図に掲載・反映させていく、とのことですが。
6月中旬の旅行で立ち寄った、日本名水百選に選定されている、山梨県北斗市の『三分一湧水(サンブイチユウスイ)』。
ちょうど我が家の遊び場の通り道にあるので、今までにも何度となく立ち寄っていますが。
『大荒れの碑』というものがあったことに、今回初めて気が付きました。

水(農業用水)を巡っての争いが起きないように、武田信玄が下流の三つの村に三等分で流れるように造った、という謂れは知っていましたが。
山津波(土石流)が周期的に起こっていた地でもあったとは・・・。

過去を単なる過去としないために、後世に伝えていくために『自然災害伝承碑』は必要ですが。
これ以上、新たな碑が作られずに済むことを(自然災害が起きないことを)願います・・・。
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彫られた碑は、風化で削れて読めなくなってしまっているので、
横の案内板(?)の拡大です。
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で、『三分一湧水』は、こちらです~。
今日の「プラネッツ」は土星だよ〜〜
あの輪っかの謎が少し分かるかも。
…でもきっと寝てしまう〜〜。
今日のNスペ「恐竜超世界」。
キャラ設定してストーリー仕立てにするのは私の好みじゃないけど、内容はなかなか興味深かったですねぇ。
要は6600万年前の恐竜には、羽毛を持ったことで恒温動物になり、まだ飛べないまでも今の鳥類にかなり近い生態を持った種がいたということ。
6600万年といったら、K-Pg境界。白亜紀の終焉、大量絶滅の寸前です。
これまで恐竜といえば、爬虫類的な形と生態のイメージが強くて、鳥類との間のギャップはどう説明するのかと思ってたけど、やっぱりそういう進化の途中みたいな種がいた(という証拠の化石が出て研究が進んだ)ということなのね。
恐竜の繁栄した期間は長いからね〜〜、そりゃ進化もするよね〜〜。

来週は海の恐竜だそうです。面白そう。
余談ですが、恐竜のコメントを書こうとしてたのに、うっかり「食い隊トピ」を開いてました…(o_o)
いくら鳥に近いからって…
登場した恐竜が、なんとなくニワトリみたいだと思ったからって…
「肉質や味は鳥に近づいたのかな」と、チラッと思ったのは確かだけど…

食おうとするんじゃな〜〜い!
多分硬いぞ!←
硬そう→廃鶏→スープが上等、ときて、「恐竜ガラスープ」とか想像してしまっている自分…クセがありそうとか、
でもコラーゲン豊富そうとか…

いやその前にどう捌くのか?
羽毛を焼いて抜くだけでも大変だし、
第一、シメれない←具体的すぎ

参鶏湯ならぬ参竜湯とか、めっちゃ滋養になりそうな……疲れてるんだな私。
「プラネッツ」
録画してあるけど、見だすとどうしても途中で睡魔に襲われてなかなか進まず…やっとのことで、水星・金星、火星、木星の途中まで見ました。それでも睡魔のせいで時々記憶が途切れがち…

4Kとかの大画面だったらもっと速攻で寝てるかも?←ダメじゃん

現在、太陽系の中で、液体としての水が常に豊富にあるのは地球だけ。でも火星にも金星にも水星にも、かつて海はあったし今も氷があると…
木星がなかなかアグレッシブですね〜。

最近の観測と分析の結果が、昔習った常識やイメージをドンドンひっくり返してます。それを知るだけでも楽しい…のに必ず眠くなるのはなぜだ〜〜(T_T)
睡魔に襲われながらも土星まで見ました〜〜。
「太陽系の宝石」と言われるだけあって美しい土星。でもガス惑星だから地表がない…と、理屈は分かるけど想像がつかない(T_T)
メタンが雷で分解されて炭素になり、炭素はものすごい気圧の中でダイヤになり、さらに気圧がかかってとける、というもったいない現象が起きてるそうな…
不思議すぎる。
はやぶさ2、やりましたねぇ〜〜って、
本当は個人的にはまだ盛り上がらない。
もちろんスゴイ技術力の証明ではあるけども。
それでも、最終的に帰ってきてこそのプロジェクトだから、賛辞はあえてその時まで取っておきたい。
九十九里をもって半ばとする……だよね。
無事に持ち帰ってきて欲しい。
そして帰ってきてからも宇宙真理への旅は続く。
ロマンあるわぁ。
「恐竜超世界」、海の王者モササウルスがまさに猛者やった話( ̄∀ ̄)
ティラノですら海に引きずり込むとは。
で、爬虫類ながら胎生を獲得していたとは驚き〜〜。
何億年も繁栄しつづけた恐竜ならではの進化の仕方。でも隕石衝突以降、陸の羽毛恐竜は小型化して鳥になったけど、大繁栄していた猛者は消えてしまった。
思うに、陸上では競争が激しい分、進化も多様化したから、かろうじて生き残った種もいたけど、海竜の仲間はそこまで多様化してなかったから、魚類しか残らなかったのかも。

それにしても、やっぱり「恐竜ガラスープ」妄想が頭から離れず(T_T)煮出してみたい…とか、我ながら何のこだわりなんだ?絶対実現しないからいいけど…
ぽちくろさん、すまぬ、こちらに移動してきました。

スラスラと固有名詞も一族も出てくる、すばらし~。
皇族以外で皇后になった初は光明子と思っていたけれど、違うんですね。
正史にも嫉妬深いと書かれているのがお気の毒。イワノヒメの息子たちが仁徳の後に続いた功績もあるというのに。正史も所詮はオトコ目線か。

当時の葛城氏は、地場の豪族から初の皇后を輩出し勢力がうなぎ登りの頃でしょうね。そのイワノヒメには仁徳との息子が複数いたから天皇の外戚としての足掛かりは万全。
一方、イワノヒメが出宮後の自分の宮を建てて住んだのも実家の財力と勢力があってこそですね。
でもしかしたら、葛城氏牽制で皇女を引き入れたのかしら。

仁徳陵を見たら、夫婦の間の愛憎話や当時の朝廷の勢力図とその背景も思い浮かべると、遠い時代の人にも今と変わらない人間模様があったんだと身近に思えますね。
時代があちこちしながらのうろ覚えだから、調べながら確認しながらです〜〜。

でね、石之比売の父という葛城襲津彦を調べてみたんです。年代的に、その親とされる武内宿禰と同一人物とか、複数の同氏族の事績を投影させた人物かとか、諸説あるんですが…確かなのは、当時の朝鮮半島との外交交渉、あるいは紛争にかなり深く関わった人物がいて、石之比売はその氏族の娘だという事です。

仁徳は「倭の五王」の「讃」か「珍」かと言われてるから、朝鮮半島から鉄とその加工技術を、より多く継続的に輸入しようとしてる時期ですよね。使節には大和政権の強大さを見せつける必要があり、だから難波や河内にあれだけの古墳群が出来たわけで。

その権威の要を握っている氏族な訳だから、そりゃ大王家にも多大な影響力があるはずで決して無視できない。その子供らを大王に立てる事で、半島との交渉力を引き入れて保持しようとしたんじゃないでしょうかね。しかし仁徳の孫の代、雄略の時代になると、国内で鉄生産ができるようになったと「英雄たちの選択」でも言っていたから、強大すぎた葛城氏の力を排除する方向にシフトしたんでしょう。

嫉妬深かったというより、政治の裏の部分に大きく関与していたのでは…本人もかもしれないけど実家勢力が大王家にかなり食い込む形で。歴史家がそれを女の嫉妬と卑小化してぼやかして記述する事で、大王家の権威づけにしたんじゃないかな〜と、想像してみてます。
それに、葛城氏系というか、武内宿禰を祖とうたう氏族は多いから、武内宿禰や襲津彦を貶めるわけにはいかなかったのかも。その分を石之比売が被ったと言えなくもないのかな。えらい迷惑じゃ。
「卑小化してぼやかす」
歴史あるある( ゚Д゚)ノだ~!

アレだ、弓削の道鏡との仲をあらぬ方向で揶揄された称徳天皇(女帝で孝謙天皇の重祚)みたいな。
でも正史ではないし、イワノヒメはちょっと悪く書かれすぎるわ。
仁徳より先に亡くなったのも痛手だったか。

地図を見ると今でも奈良に葛城という地名は残っているし、大王家が日向から熊野を経由して奈良に入って来る前から豪族としてその地を本拠地とし治めていたようだから、
大王が王家として王権を集中させるのにご当地の葛城氏の財・人脈・技を頼みにしたのは当然だったでしょうね。

熊野繋がりじゃないけど、葛城古道なんてのもなかったっけ?
賀茂神社の鴨氏もこのあたりの氏と聞いた事、あるやなしや。

あ、チラっとググるとあるわ、葛城古道も。
氏族名の「葛城」は後づけらしいんですね、葛城地区にいたからなのかもですが。しかし「襲津彦」が怪しすぎるんですよね〜。半島情勢に相当深入りしてる。

ココからは完全に妄想なんだけど…
半島に高句麗、百済、新羅と迦羅諸国がある時代ということは、国同士争いごとや勢力争い、または交渉のため、あるいは難民のような形で、はやくから大和に入っていた人たちも多いはず。
葛城氏の半島への食い込み方からして、あるいは亡命してきた貴人や交渉人を一族に迎えていた(婿入りみたいな感じで)地元勢力なのかもな〜〜とか。
多分、百済の。
となると、百済の影響を受けたくない勢力は抵抗するわけだし、大王家としても影響を排除したくなるのは自明なことよね。
えっ、後付けなの?!
そうか、氏などを名乗る制度以前からいるんだ。

襲津彦さんの項目をチラリ読んできたら、彼は何かと半島に遣わされている話が複数あるんですね。
ぽちくろさん説、いい線をなぞっていると思います。

当時の朝廷が百済贔屓な面が多いのは、百済からの文化や技術を重宝し受入れた民の数の多さが理由でもある一方、
半島においては滅びた国であるから、外交のカードとしては既に使えないものでもある。
「新羅」を日本ではシラギ読み、これは「シンラのヤツラめ」というちょっと侮蔑的な意味合いを持つ百済の言葉だと。今をもってもシンラでなくシラギだもんね、百済の影響恐るべし?!
和爾氏についても、ウィキによれば、弥生前期ごろ渡って来た「朝鮮系鍛冶族」とか「海人族」とかの説がある、と…
おお〜そうか〜〜!
だから葛城氏の後釜に座るだけの勢力を持つわけだ〜〜。なるほどね〜。

だから、あの古墳群が出来るには…
「朝鮮半島との関係」と「鉄」と「倭の五王」が、理解のポイントとして外せないというわけだ〜〜。ただ古い伝説の古墳だ〜ってだけでは、何にも分かんないに等しい。
けど難しいよなァ、この辺は日本史でもサラーっとしか習わないのに。
こーいうこと言うからマニアは面倒だって話になりそう…でも古墳群、中身は調査できてない。歴史の時間にサラッとしかやらないのも、わかってない、確定されてない、調査が進んでない、そもそも入れないから。
だからどれだけ重要なのかを知るためには、大仙古墳に比定されてる仁徳だけでも、そんな話がてんこ盛りにあるんだよって。
でも絶対聞こえて来そうなんだよね〜
「仁徳天皇って誰?」「知らない」って会話が…。1番有名どころなのに。
ぽちくろさんが正倉院展で遭遇したBBAは、コストコ店内で「こんなデッカいの誰が食べるのぉー(嘲笑)」「こんなん食べたら太るやん(嘲笑)」「わざわざ年会費払って来るようなとこか?(嘲笑)」などと大声で言い放つ人に通じるものがあるなぁ…ま、偏見ですけど。
世界的超有名画家の展覧会に来て
「まぁ〜〜、上手ねぇ」という人にも通じる(遭遇)
上手じゃなきゃそもそも画家になってないわい!上手以上の表現力とかメッセージ性とかがあるから世界的画家になるんでしょ〜〜!
もう、大前提の部分に膝カックンさせてはばからない、救い難い無神経な人がいるわけよね。
知らないだけで(知る気もない)、ワザとじゃない(恥じることもない)けど、どうでもいいグッズ土産は買い込んで金をそこそこ落としていくから断れない、っていう始末の悪さがね…個人的な偏見ですけどね〜。
あるいは自然遺産に来て「自販機がない」とか言い出すようなタイプ(電気も来とらんわ)とか、鍛えもしないで高山に登りたがるとか…要は自分も周りもちゃんと見てない人ね。偏見ですけども。
ぽちくろさんから学ぶ事ばかりで申し訳ないけれど、

仁徳って、誰?

ってひと言からこれだけ話が時空的に広がる事が楽しいんだな~。

あのデカイ古墳、特に前方後円墳の鍵穴のような形は上空から見た視点も考慮してたのだろうかと思うくらい、
上空から見てもいびつでなく優美なのは、よほどの測量と土木の技術があったんだと。
それはやはり大陸・半島の技術やそれを担った人との交流が1600年前に現存していたんでしょうね。
ほじくり返していくと、学校で習った歴史が、いかにアウトラインにもならない「点」ばかりだったかが分かるという。あれじゃつまんなかったはずだわ。

古墳時代あたり、朝鮮半島だけじゃなく大陸にまで目を向けてみると、さらにほじくりがいがあって面白いです。
隋の前、五胡十六国とか南北朝の頃となると遊牧民族系の国も乱立してますが、これで思い出すのは、鉄の先進国は確かトルコ系だったこと…いろんな国が入れ替わり立ち替わりする中で、技術は半島経由に限らず入って来る可能性があるわけですよね〜〜。
妄想は楽しいよ〜〜。( ̄∀ ̄)
古の日本の製鉄のことを鑪(たたら)と呼んだでしょ、これはタタールと関係あるのかしらね。
ぽちくろさんにのコメントを読んだら、今さらながらふとそう思っちゃった。
もしそうだとすると、1600年前には大陸と言っても中国どころかもうヨーロッパや中東に近いあたりとの交流があったのか、あぁロマン。
正倉院にもペルシャ流れの琉璃があったもんね。
タタール説も一応あるそうですよ。
製鉄というと契丹とか韃靼(タタール)とかかなー??五胡十六国の頃は、モンゴル系とか契丹系も中国東北部に来ていて、中国化した部族もいるみたいなんですよね〜〜。そうすると技術も伝わる。南北朝時代になると北魏(鮮卑族)から半島経由?で日本にも仏像が来てますからね、青銅だけど。

そもそも鉄でなくても、小麦が中国に伝わっているでしょう?小麦は中央区アジアがルーツだから、誰かがもう伝えてるわけです。商売であれ、流民であれ。

秦氏は秦の国から来たとか言われてるくらいだし、徐福がたどり着いたのは日本とも言われてる。魏志倭人伝にも記述があるってことからして、古墳時代の早い時期から大陸ともさかんな交流があったわけで、南北朝時代にしろ五胡十六国の時代にしろ、交流がなかったと思う方が無理がありますよね。国レベルではしてなくても、民間の商売なんかでは十分に可能性がある!
妄想はロマンだよ〜〜( ̄∀ ̄)
たたら製鉄では、大きなふいごを踏むので(もののけ姫で出てきましたよね)、おっとっと〜〜と片脚での足踏みを
「たたらを踏む」といいますね。
片脚で踏み続けるために、脚を傷めて引きずる人がいる…という話が
「片葉の葦」という伝説に転化する場合があったり。葉っぱが片方にしかない葦の事ですけど、実際は風が強くて片っぽ飛んじゃうとか片側にしか伸ばせないとか…風が強い土地は製鉄向きですから、そんな関連がある説もね。

敦煌・莫高窟の壁画は2世紀くらいから作られ始めたらしいですが、その色使いや線描、衣装デザインなどは、奈良の仏像、仏画などにも描かれてるのだそうです。敦煌なんて河西回廊の砂漠地帯にあるのに、同じ手法や描き方が奈良にもあるって、誰かが教えたり伝えたりしたわけで。敦煌にはインドの僧も来ていたらしいから、大陸経由にしてもどこかで交流があったのは間違いないコトよね。
わぁ、たくさんのご教示ありがとうございます。
昨晩は脳内をいろんなものが飛び交いました。喜多郎のシンセサイザーに石坂浩二のナレで敦煌、莫高窟の画像が流れる中、エジプトあたりにも鉄の民がいたよね~、名前なんだったか、あ、ヒッタイト! これは紀元前の話だ~、
エジプトじゃなくトルコだったんだ。
騎馬民族と製鉄は関係あるのか、ヒッタイトの製鉄法はまさにタタラ、ふいご式という事はそれが日本に伝わってきたんだなどなど。鉄の道。

話が飛ぶけど、最近、弥生時代には既に硯があったのではという論議が出たらしい。
古墳時代より前に大陸のものが流入していた可能性があるとしたら、高い航海技術を持つ民がいて…。遣隋使遣唐使じや苦労したのにね、既に弥生時代にって。
弥生式土器でも地方によって色んなデザインタイプがあって、東海型ってタイプの分布もかなり広範囲らしいです。となると当時としても陸路だけじゃなかったかもしれませんね。
うろ覚えすぎて、確かなことかどうかも定かでないですが…鏃に使う黒曜石、産地はかなり限られてるそうですが、それが小笠原だったか、かなり意外なところから発掘されたことがあるとか…?

少し前、台湾から与那国島で、丸木舟で渡る実証実験が成功したそうですね。3年くらい、葦舟など昔作られたであろう技法をさまざま試してきて、やっと成功したとか。黒潮を渡らなければならないからかなり困難なことなんだそう。
黒潮があるから、大陸方面から日本に来るのはなんとかなっても、日本から行くのは季節を選ばないとかなり難しいと聞いたことがあります。
ただ、人類がかつてあちらこちらから海を渡って来たのは確かなことですよね。

諸説ありますが「海人族」といわれる人々は、産鉄技術を持って、なおかつ航海術に優れていたとか。さまざまな氏族として日本の歴史に現れ、各地の地名にも残ってます。どこから来たのかはよく分からないけど。
今は無き「なにわの海の時空館」がその辺りの展示あって面白かったンやけどねぇ~
解体も出来ない負の遺産なドーム構造...実は好きやったな♪
柳田国男の海上の道とか読むのイイかも~♪
♪名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る ヤシの実ひとつ

海流に乗って人類も島々に渡ったはず〜
渥美半島に流れ着いたヤシの実を見てつくられた詩と…


ヤシの実が来たのは「渥美半島」。
「海人族」の代表的な氏族「安曇氏」の足跡が地名になった土地やんね。
陸路にしろ海路にしろ、この列島にたどり着く前後の事をなぜ後世に口伝でも残せなかったのか、忘れちゃったのかな。それともまだ残っているけれど、存在を忘れたか見聞きしても解き明かせなくなっちやったのか、つくづく惜しい話デス。
「シルクロード 美の回廊 『微笑みの来た道』」再放送をやっていましたねー。

微笑みをたたえた仏は、5〜6世紀にしか作られなかったとか。中国の中でも、古い石窟寺院に残された微笑みの像は、遊牧民族によって作られ…微笑みのルーツを遡ると、ヘレニズム文化、アレクサンダー大王の東征に突き当たる。
遊牧民がさまざまな文化や信仰を取り入れ、あちらこちらに運び伝え、浸透していって、奈良に至る。何千キロの距離と海を越えて…。

でも5〜6世紀に流行ってから日本に至るまでのスピードを考えると、やはり大陸の政情不安(五胡十六国などなど)から、比較的短い期間にたくさんの人や文化が大量に日本に来た、しかも盛んな交流があった…と、考えられていいと思うんだけど、そう思いたくない人たちもいるってことかもね。
歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2
『椰子の実』の歌、好きです~(^^♪

2年前に、小諸の懐古園で撮った写真を貼り貼り。

ぼんやり写り込んでいるのは、とっつぁんです~。
シンレー写真ではありません(笑)
歴女倶楽部&コッ地会 合同部室2
H&D「ほほぉ~、『もっと遊んでくれ~‼』と、強い意志が写り込んでいますなぁ...遊びをせんとやうまれ犬... シンレー写真、認定‼」
H&D「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」
知ってるだけより好きなヤツの方が上で、それを楽しんでるヤツがいっちゃん(一番)上やっちゅうこっちゃ~‼
雑談板の方々はとても楽しんでる。
征服されたり同化したりすると起源にまつわる話は消されたり卑下されたりするし、
征服してもそれはそれで美化されたり誇張されたりするから、本来の形がストレートで残るのはむりがあるのか。
伝言ゲームは途中で本質がどこかで失われたり変わるもんね。