歴女倶楽部&コッ地会 合同部室3

歴女倶楽部&コッ地会 合同部室3
求む! 部員!!

このトピでは、歴史と文化人類学、地学、天文等とそれらにまつわる妄想をも語ります。
ひと語りもの語り、興味の向くまま右往左往。読みオンリー、書き逃げOKラジャ~で、ゆるゆると進めて参りましょう。
返信 281-320/369件最新の投稿へ
お預け荷物はバリューPeachは1コです。
機内持ち込みが2コです。
訂正致します。
音楽は聞かないの~?

外を見てボーとしながら寝落ちかな。
車窓からおもしろそうなものを見つけたら、それは何かとスマホで調べたり。
いつもは音楽を聴きながらボー。です。
ひたすらボーってなります。
それに飽きるとYouTubeみたり。
でも画面を集中して見ると酔います。
眠れなくても目を閉じて目を休ませるだけでもリラックスできるかもよ。
あとはね、指圧する。手や頭、こめかみとか(笑)。それでも時間が余るよね~。

わたしは東や北の方の事はからきし知らなくて。岩手県民さんが利用する区間の常磐線は特急や快速は運行していないのね、2時間半、それはまさしく旅です。
♪知~らなぁい町を 旅してみた~い♪
常磐線は仙台から東京まで繋がってます。
調べたら78駅でした。飯田線に負けてます。

常磐線。私の帰宅時間のが28駅止まりなのかな?
そうか。ビール飲んじゃうか!

本日も目がシャッター下りてきました...
本読んでたら白目になるのが早いです。
今日も爆睡できそうです。

「そうか...足あげとか筋力向上しようかな。
常磐線、誰も乗ってないんですよ貸切贅沢気分です。瞑想。座った筋トレ。マッサージ。良いですね。やりましょ。」
私は本も読むし余裕で寝ちゃう(^◇^;)
起きてる時は車窓から景色を見てます。
ボーっと…してないかも。

…なんというか、地形だったり、川の色や石の形とか、植物の違いや枝ぶりでその地の気候を想像したり、街のつくりだったり、駅名や地名からの妄想とか…見るもの想像するものがたくさんあるんで、あまり退屈しません…地図を見ながら「今はここかあ」と思ったり。

しかし北海道行った時は、流石に広すぎ?長すぎて、見る目標を失ってしまいましたけどね…岩手もかなり広かったけど(^◇^;)
歴史トピ久々に書きます〜。
いろいろランダムですけどね。

先日の「歴史探偵」は「北条政子」。
怖くて嫉妬深くて…ってイメージは、やっぱり江戸時代に作られてたんだな、と。
日野富子もそうだけど、
為政者にとって、男にとっては
「(都合が)悪い女」なんだよなぁ。
政子がいなければ、鎌倉幕府が続かなかったかもしれないなんて、認めるわけには行かないよな。

後妻打ちはまあ慣習として認められてたものだし…室町時代まで時代が下っても、狂言に「わわしい女(騒がしい女)」が、ヘタレ男をとっちめるみたいなやつあるし。

それでふと思う。武士の間に儒教的な規範が行き届いたのは江戸からだろう(朱子学)。むしろ公家の方が、教養としての儒教的な制約が強かったんではないかな…。
大名や領主クラスの家、もしくは仏門に入らなければ、学問にふれることは難しかったろうし、武士たちは戦乱が起きればそれどころじゃないし。
古くは孝徳天皇(女帝)と弓削道鏡との間柄を性的に揶揄したのもそうだろうなぁと思います。

後妻打ち。
wikiを読むと不意討ちではなく、前妻と離縁してから1ヶ月以内の再婚に対してとか、討入りを後妻側に事前告知するとか、結構、筋を通してやるみたいね。最後は双方の供の者たちが仲裁に入り引き揚げると。それなりにルールはある。
でもさ、元々は夫の不義理のせいなのに(笑)、なぜ妻どもが戦うのやら。
予想というか妄想だけど、妻問婚の名残みたいなことなのかな?と。
平安頃は、正妻の家の財力とか人脈を、婿も利用しながら互いに発展させていく関係だったから、正妻側からしたら権益を横取りされるとか目減りさせる存在じゃん?だから損害賠償に近いのかなと…

逆に言えば、後妻打ちを受け入れることで、その先、妻としての立場をある程度認めさせることができることにもなるんじゃないか?と妄想。個人の感情よりは家や家族の事情なのかなぁと。

と、考えると、政子の場合は多分
「佐殿の名前を使えるのは俺ら北条家だけだからな?舐めてんじゃねぇぞ?」って、
家の奴らがやりすぎたって側面はあるんじゃないかと思うな…本当に家をズタボロにしたならね。事故ったのかもしれんし。

話が飛ぶけど、六条御息所が生霊になるほど悩んで執着するのがしつこく描かれる理由もそこかなぁと思ったりする。
車争いで、事実上後妻打ちみたいな目に遭わされて、生霊になるほど恨んで逆「後妻打ち」に出てしまい、命まで奪う結果になっては、完全に掟破りで明らかに過剰。しかも先に希望もない。
二重三重の嫉妬に二重三重の「罪」が絡んだ懊悩は、紫式部もよく組み立てたよね。そりゃあ芝居の格好のネタよな。
妻問婚か~。
そうよね、どうしても今の感覚で考えてしまうから不思議な感じがする。
史実かは別としても、野史にしろ記述が残っているというのは、ご想像通りルールから外れ「やり過ぎた」感が当時の人にもあったのかもしれませんね。

六条御息所は光源氏との仲を公にできない立場だった分、彼の正妻やら公の想い人には自身がコントロールできないほどの念が、彼女の生身から抜け出て悪さをしてしまうんですよね。
ある意味、一番人間らしい女性だなと。
葵の上との事を後妻打ちに例えるのは、とても腑に落ちます。
六条御息所、創作された人物なのに、奥が深過ぎるというか、式部自身がどこかで垣間見た人物の複合型なんだろうと思うけど…だとしても人間の欲とか闇とか見通しすぎるくらい見通して作られた人物だよね。

元東宮妃という公的な立場、年齢や子供のことがなければ、臣籍とはいえ今上の息子の正妻としてはこの上ないくらいの存在なはずっていうプライド。
その家格、東宮妃になるほどの教養を考えれば、儒教的な考えからも、嫉妬される側ならわかるけど自分がする立場になるとは想定外なんだよね。例え愛情がうつろうことがあっても、自分(と実家の家格や人脈)をないがしろにできるような婿はいないし、立場を揺るがすような女性もまずいない。

しかし地位だけは高くても「元東宮妃」なんて権力を持たない御息所としては、母方の力がなくて政治的に立場が弱い臣籍の若い皇子は、他人事でない同情心もあったろうし、庇護してやろうって気もあったろうけど、それが独占欲じみた執着に堕ちた事で、プライドはズタズタなんだよね。

さらに彼には政治的に力のある家の正妻がいて、子供が産まれればさらに地位は安泰。
自分には欲しくとも絶対に望めない正妻の座と彼の子供。なのにその正妻は光と馴染みたがらないなんて、鼻持ちならない女!と思っていたところに、車争い。
後妻打ちのようにただの愛人扱いされたようで、こっぴどく恥をかかされた…と嘆いていたら、源氏はその辺で夕顔なんて下々な女に誘われてる。
そりゃあもう「私の立場は?正妻はともかくその女はなによ!」ってなるよな。

子供が産まれたらさらに足が遠のくと思えば「私が欲しいものを全部持ってるのに何様なのよ!私をその辺の愛人扱いして、ただで済むと思ってるの⁈」ってなるよな。

でも、結果として全部やりすぎてる。
教養があるだけに自分の闇を認められなくてどうしようもなく苦しむ、という。

紫式部の構想力(妄想力)はスゲーな。
本来なら出自、容姿、教養、人格等においてほぼ全てでアドバンテージを取れる自他共に認める逸材のはずなのに、光源氏に対してはそれらが裏目に出る皮肉さですよね。

その懊悩さが想像の産物ならリアル過ぎる。モデルがいたのでしょうか、それとも紫式部の中にもあったものでしょうか。女なら人種を問わず時空を超えて普遍的な感情なのかな。
いやいやそんなものを呼び起こす光源氏のマネジメントのまずさがやはりケシカランわ。
一応、徽子女王ってモデルがいるにはいるみたいだけど、この方は斎王から女御になって娘がまた斎王に選ばれた時についていくってパターン。恋の懊悩よりは局での権力闘争じゃないのかな…??
皇孫で元斎王で和歌の名手で…なおかつ女御になって娘を産んでる。この上ない出自と教養と、斎王を務めたって余人にない経歴からしたら、寵愛を巡る駆け引きに巻き込まれる事自体が自尊心を傷つけたかもね。

とはいえ、六条御息所のあんなドロドロ心理を創り出すには、他のいろんな女性たちの言動や心理をジッと観察していたんだろうな。式部自身も夫の不義理には悩んだみたいだけど、案外「コレはひとネタゲットしたわ」と思っていたかもね。
徽子女王のwikiを読んできました。
女王(天皇から三代目)で伊勢斎宮を務め上げ退出後は村上天皇の女御に。所生の内親王も伊勢斎宮と母娘二代で伊勢斎宮なのですね。

当時のやんごとなきお嬢さま方の中には、京から伊勢へ行く道中で儚く急逝しちゃったり、諸事情で斎宮在任期間が極端に少なかったり、つつがなく京に戻っても生涯独身だった斎宮がいる中、結婚相手が天皇で女御、娘も伊勢斎宮とは強力な後ろ楯が無い中でも宮中女人双六フルコンボで上がりな人生と言えますかね。

母娘ともに歌の才能が豊かで、紫式部も天晴れと思ったのかもしれませんね。
いやはや、そこにドロドロの情念を表裏一体的に被せて物語を膨らませていく紫式部の方が何倍も天晴れか。
それよ。色んな人を複合したとしても、こんだけ心の奥底を見通すような構成は、相当な分析力がないと出来ないはず…
おそろしいほどの才能だよなぁ…

その割に源氏がチャラ過ぎるけど(^◇^;)
それでも後半には、身の栄華を極めるほど、それとは裏腹に人には言えない苛酷な状況に置かれて、さらに唯一の安らぎだった紫の上にまで哀れまれつつ先立たれて、孤独に陥っていく…と、描かれて行くよね。
やっぱり恐ろしい構成力だよなぁ…
源氏は誰かを幸せにしましたか? ひとときの幸せは各々あったかもしれないけど、と。因果応報的な孤独だったわね。

当時の人もこれはあの方がモデルかしら?とかキャーキャー言いながら読んでいたのかな。
色んな人のイメージを重ね合わせているみたいだから、ここはあの人?この話はあの事件かなぁ?なんてやってたんでしょうね。

女性たちはそれぞれに自分の人生を総括して行くのに、源氏は結局あやふやなままに嘆いて終わっちゃうし。
宇治十帖になると、男同士で恋の鞘当て、自分はこれこれだから〜とか言い訳しながら、想いを身勝手にぶつけるばかり。女たちは「こいつら何失礼なことしてくれてんの?勝手すぎるだろ」と冷ややかな眼差しだよね。

一番翻弄された浮舟ですら、身仕舞いというかキッパリと悪縁を断ち切って己の道に進むのに、薫も匂宮も「えぇなんでぇ?なんで俺らがフラれるの?そんなわけなくなーい?」ってグダグダしてるもんね。

案外そういうとこ読んで、女御たちは「男ってこーいうとこあるよね、マジ馬鹿じゃね?勉強出来なくね?」とか思って笑ってそう。
後妻打ちからの源氏物語からの、、、
ぶった切っての地球史なんですが(^◇^;)

少し前の「コズミックフロント」で、
8億年前に小惑星シャワーが地球と月を襲ったという話をやってまして。
6600万年前に恐竜絶滅を起こした隕石は、でかいのがドーン!だったけど、8億年前のはそこそこのがいっぱい落ちたとかで、その量だけなら30倍以上の規模になると。
地球上では風化や地殻変動で痕跡が分からなくなってるけど、月にはあるんじゃないか。で、紆余曲折ありつつも、確かに8億年前にできたクレーターがめっちゃ多いことが分かったと。
8億年前って、多細胞生物が出だした頃なんだそうで。別の研究で、その頃に海中にリンが激増したのが要因じゃないかと。
隕石には有機物も含まれているから、隕石からリンが供給されて激増した可能性が高い、と。

8億年前くらいから、氷河期も始まる。
地球に大異変が起こった背景に、隕石シャワーがある…コレがなければ多細胞生物は出てこなかったかもしれないし、人類も生まれなかったかも。
「男ってこーいうとこあるよね、マジ馬鹿じゃね?勉強出来なくね?」

↑宮中の女房、女官たち含め職業婦人集団だものね、言ってたかも( *´艸`)。

宇治十帖。父の代に比べると子息たちは恋の鞘当てのスケールが小さくなってる気がする。浮舟とはいいえて妙なネーミングですよね。流れ流され救われた(掬われた)先での意志は固く、男性陣撃沈。

登場人物たちはさておき、宇治という舞台が好きです。
こちらのトピ在住の方々が好きそうだと紹介したいなと思いながら3ヶ月経ってしまいましたが、BS-TBS「関口宏の一番新しい古代史」ご存じでしょうか?
四半世紀以上前の教科書の内容も記憶が朧気な脳ミソにワクワク感を届けてくれる番組です。
日曜の朝の番組の口調なので見ている内に白眼剥いて彼方に飛んでいったりしちゃいますが歴史好きの夫はしっかり見ているみたい。
毎週土曜日の番組で番組内容は平城京の時代まで進んでしまいました。
興味のある方はぜひどうぞ。
BS番組だった『コズミックフロント』が内容を再編成し装いも新たに『コズミックフロントΩ』(全12回)として地デジEテレで放送されますお~。

第一回の今夜(22時45分~)は「宇宙誕生」でやんす☆
開催期間があと残すところこの土日だけしかないけど、半田市博物館で「知多半島の化石」展やってます。
数年前に見つかった師崎層の路頭が昨年発掘調査され、そのいわば掘りたてホヤホヤの化石が見られるってんで、先日むりやり行って来ました。小規模な展示ではあるんですが、なかなか興味深かった〜。

深海生物の化石なんで、一つ一つは小さいし派手さはないんですが、細部までくっきり残っているんですよねー。小さなハダカイワシの仲間の化石なのに、軟組織の発光器の跡まで残ってる〜。
個人的には「うぉぉ〜!すげぇぇ!」と興奮したいところだったけど、静かにニヤつくまでにとどめた(←充分あやしい)

今月からは名古屋市博物館で「兵馬俑」やるから、行きたいな〜とは思ってるけど、いつ行けるかな…
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最近まったく雑談板は見ていないので8月誕生日会も忘れてた。
遅ればせながら、8月記念日の人、東海地方のマドンナおめでとさんです~お祝いのお菓子画像あったのにな。


開催2日目の今日「兵馬俑と古代中国」に行ってきました。
余り大きな会場ではなかったですが「おぉ~一日中いられるよね!」と家族に2回言ったほどワクワクしました。家族からは同意の言葉貰えませんでしたが韓国時代劇をほぼ卒業して中国時代劇に夢中な人なのでそれなりに楽しんでくれたと思います。
コメダでモーニング食べて、帰りは山田餅で鬼まんじゅうと黒ういろと草餅買いましたよ。
本当は焼きシュウマイ店にも行ってみたかったな~。ランチも行きたかったな~
1人で行ってたら全部行けたな~
コロナ禍になって出掛けてなかった屋内の人混みにちょっとドキドキしながらの外出でした。
(コストコは天井高いし巨大ファンが回ってるからカウント外(汗)勝手な奴よのぉ)

そういえば会場内の年表に◯◯帝どうたら、◯◯どうたらと書いてあるのは普通なんだけど呂不韋の亡くなった△△だけ(ここにその言葉を書くと自動で検閲に引っ掛かりそうなんでぼかします)一行書かれてコウラン伝を途中リタイヤした身にとってちょっとショックでした。どうしてそうなったか家族に説明して貰いました。呂不韋役の俳優さんはイケメンだったとしか憶えていない。

撮影可の場所もあったので沢山撮ってきました。
あえての本命外してお馬さん達の画像貼っときます。
兵馬用展にはどうも行けそうになく(T_T)

今月8日は皆既月食、天王星食が同時に起こるそうですよ〜。天王星は暗いんで肉眼で見るのは困難だそうですが…
今日の月の近くには木星がいました。
皆既月食、よく見えてます。
今日は「きぼう」が見えるかも。
夕方6時ごろ、日本上空を通るそうです。
見えるといいなぁ。
ヨーロッパ史やロシア史はあんまり詳しくないから、BSPの「衝突の源流」を少しみてみた(全部しっかりとは見れなくて)。

ロシアに対する西欧諸国の対応というか雰囲気が、なんとなく「ロシアはヨーロッパじゃねぇ」って扱いに見えていたけど、やっぱり歴史的な背景があったんだ…と分かりました。だからこそ名実ともに大国、西欧に打ち勝つ名誉にこだわっていたんだなロシア。

ウクライナ侵攻に対するロシアの言い分が理解しづらかったけど、そういう理屈だったんかと腑に落ちることがあれこれありました。思ったよりもめっちゃ根深いから、今回の戦争が収束しても、また繰り返しそうだなぁと暗澹とした気持ちにもなりました…。

録画してなかったから再放送あったらもう少しちゃんと観ておきたいです。
今日再放送があるのを知らずにいて、また中途半端に観る結果に…(T_T)

でもやはり歴史的・宗教的・民族的に根が深い問題が下地にあっての現状なんだと再確認しました…今日はチビもいたから、簡単に説明もしてみたけど、聞いていたかどうかはしらん(^◇^;)

結局、ロシアではまだ『皇帝』が支配している…というまとめ方だったのだけど、
少し前に中国の政治についての番組でも、中国出身の学者が「中国ではまだ王朝が続いているのだ」というような表現をしていて、それがすごく腑に落ちた記憶。
とすると、ロシア、中国、北の国では、まだ皇帝による王朝の政治が続いているということで、、、
しかも3国とも、自国を構成する多数派民族が「他より優れていて、世界に対して役割を担っている」という考えをもっていて、領土の拡大と支配、富と威信の獲得を目論んでいる…と考えると、そんなんが隣にひしめき合ってるなんて、一気に不気味さが増すような気がします。
実際、ウクライナにロシアがしていること、漢民族がウイグルでしていること、北の国の強硬な態度を見るにつけ、権力と富と威信を得るためには手段を選ばないよな…と考えざるを得ず。止める手立てはないんだろうか…


チビ「歴史は好きになれそうにない」
私「え〜もったいないなぁ」
チビ「母ちゃん詳しすぎるから〜」
私「いや、常識の範囲内です」
チビ「いやいやいや深掘りしてるじゃん」
私「それはごく一部、ピンポイントで好きなところを少ぉ〜し掘り下げてるだけで、全体的には普通に学校で習う範囲でしかないよ、テストしたら100点はまず取れない」
チビ「え〜?」

そもそも私の掘り下げポイントは、
おそらくテストに出ないんだよなぁ…
出ないポイントこそが面白いのよなぁ…
BS1で「市民が見たウクライナ侵攻」を見ようとして迷って、やっぱり少し見てみて、つらくなって変えて、後悔中。

道端にいくつもモザイク処理がされている状況ってのは、明らかに市民がそこに、無造作に、放置されているわけで。人権も尊厳も無視されてるってことが、いやでも視界に晒されてる環境下にある街…TVだからモザイク処理でぼかされているけど、リアルにそこにあるのを見ながら暮らすって過酷なことこの上ないでしょ…

理不尽な外国から来た兵士には、そりゃ抵抗したい。すれば道端、従っても無事とは限らない。生きるには従うか逃げるか…命懸けの葛藤とか選択とか判断とかに迫られるとは。

海を隔てているとはいえ、その大国は隣の国なんだよなぁ…剣呑な事だ…
でも、ちゃんと見れなかったな…
「今日の予定は…」
「あ〜、早めの時間に…」
「うん?」
「一向一揆に行きたいんだけども」
「…あぁ、はいはい」

今日19日が最終日だったんです。安城市歴史博物館の企画展「家康と一向一揆」。幸い近郊ではあるんだけどなかなか行けなくて。

私もあの時代なら一向宗門徒。しかし負の歴史であるためか、三河でもあんまりちゃんと知ってる人は少なめなんです。郷土史の観点からも一応触れはするけど、宗教がらみだと学校でもあまり深掘りできないから、もっと他の話に重点が置かれてしまうし。
私自身も、以前に他のきっかけがあって調べてみるまで、あまりよくわかってなかったですし、今も詳しくはないんで、展示を見てみたかったんですよね。

結果、行ってよかったです。丁寧に調べてあって見応えありました。
でもねー「本多正信」展のときもそうだったけど、とにかく文書文書絵図文書。まあそれは予測してたんだけど、こっちの眼が参るのよ。保護のために照明落としてるから、目を凝らしてみていると最後らへんは目が疲れて眠くなるという…(T_T)

ドラマの方はどうも見づらくて、放置しちゃってるんだけどもね。

家康が天下人になる以前の歴史、さらに家康以前の歴史ってあまり注目されてこなかったというか、分かりにくくてめっちゃ複雑なんです。それに一向宗の寺の格の差とかも絡んでいて、分かりにくさに拍車をかけてる。

とりあえず…概略を書いてみようとしたけど、やっぱり長くなりすぎる…。
三河一向一揆が起こるに至る背景、少しずつ書いてみます。

●三河に一向宗が根付いた理由
室町時代に蓮如(真宗中興の祖と言われる)が三河に来て、直接教えを広めた。
のちに蓮如の子孫にあたる人物が三河で寺の住職になっている。寺の格が高い点からか地侍にも信奉を集めるようになっていきます。

●三河が取り合いになる理由
三河は足利氏と強い関わりがある。東国と西国の境にある要衝の地でもある。
もともと細川、今川、吉良、一色は三河をルーツにする氏で、なおかつ足利一門衆。つまり今川氏にしてみれば「俺ん家のもんみたいなもんやん」。なのに地侍の松平氏があちこち虫食いみたいに勢力広げ出した…となれば、ちょっと潰しとく?みたいに三河に攻め寄せ、松平氏を弱体化させたら、織田家も手を伸ばして来て、さらに虫食いがひどくなっていって今川に囲い込んだ最終形態が、松平元康。

●三河七ヶ寺
蓮如の子孫の寺が複数含まれ、街道筋と水運を押さえる形で寺内町を形成。商人や職人が集まり、経済的にも発展。分かりやすくいうと三河内にプチ堺がいくつかある状態です。本多正信あたりは、多分彼らと深く関わることで、知識と知恵を蓄え磨いていたのでは。
加賀のように一国を持つ願望もなくはなかったかもしれない。
もちろん個人の妄想だけど、
寺に集まる人の中には、加賀のように一国を…と夢見る勢力もいたかもしれない。弱体化した三河、支配者今川義元がいなくなり、家康はまだ勢力が弱い。今がチャンスだと思っていたかもしれない。
三河一向一揆が鎮静化してから、坊主は国を出されて、三河国内での活動を20年禁じた。同じように出ていった侍たちには、長島や加賀の一揆、石山本願寺での合戦に参加した人もいるよう。本多正信も流れ流れ一揆勢として戦っていたらしいし。
家康が、一旦和議を結びながら、結局坊主追放に動いたのは…
思いつきなんだけど、信玄の正室の妹って本願寺に嫁してるんよな?だから、のちに信長包囲網をの一角を担うわけで。一向宗の坊主がいては、情報とか筒抜けだし。
三河平定に向けての動きなど、詳しく解説してる動画もあるんで、この機会にじっくり勉強させてもらおう…一向一揆もそうだけど、ドラマじゃほとんどすっ飛ばされるし。

複雑なんで、話を切り捨てるのもすごくよく分かるけどねー…家康としては、桶狭間以降はもう忙しすぎたんだろうな。今川もそこそこ頑張っていたけど、何しろあそこも武田と北条を背後にしてるから、気が気でない。しかも上杉もなんやかや北条に迫るし。
今週末 娘と名古屋に行くんですが
どこに行こうか迷ってまして
熱田神宮 有松 国際センターあたり。でも娘が夜
ライブに行くから びっちり時間使えなくて。

いつも適当にウロウロしているのが我が家の
旅行。詰め込むの苦手なんです。
名古屋城から熱田神宮、、が、王道ですかね?
時間がどれくらいあるかによりますが、お昼ご飯やお茶をしながらブラブラするなら、栄地区をはさみつつゆるっと移動、くらい??
前回 名古屋城に行ったのですが
工事をしてて入れませんでした。でも私 それを
知らなくて どこからお城に入るんだろうと思い
オマヌケのことに一周しました。

今回で3回目なんですが 栄には行った事がないから
そこに行くのもいいかもしれません。
私もここ数年、名古屋に出てなくて(^◇^;)
名古屋城は多分まだあちこち工事はしてると思います(天守閣は工事中らしい)。
復元された本丸御殿や、金鯱横丁なるものができているようですから、楽しめるのではないでしょうか…
栄も私が知ってる頃とはもう全然違うみたいで…
娘がライブの間 自由行動?なので
栄の喫茶店とかに行ってみます。
名古屋駅から徒歩圏内(~20分)にノリタケの森という施設があります。わたしも一度行ってみたい所です。のりぴぃさんは洋食器がお好きでお好みはマイセンでしたっけ? この機会に日本の窯を見るのも楽しめるかもしれません。レストランやカフェも併設だそうです。

ノリタケの森
https://www.noritake.co.jp/mori/info/about/
ありがとうございます。
実は初めて名古屋に行った時 1番最初に
行きました。
色々なのを飾ってある所にいったり
売店で買い物したり お茶しました。この時も
娘は津市でライブとかで お昼は松阪牛を食べ
その後 別行動でいきました。
大倉も元は同じだったんですね。その時知りました。

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