うふふ、わたしはミルフィーユさんより年寄りなのでも少し前かな。和紅茶、いいですね。海外産より渋みが穏やかな気がします。気がするだけです。あの辺りは大企業が多く、通りの名前に歴史を感じられたり区割りがはっきりしていたり歩くだけでも楽しいですね。
ファンの集い
渺渺さま✨
さすがです、ご明察通り「北浜レトロ」です。
本当は「五感 北浜本館」に行ったのですが、まさかの「研修につき臨時休業」の貼紙が…
https://patisserie-gokan.co.jp/shop/kitahama/
教えていただいたOLD ROSE GARDENも鶴屋八幡さんもどちらも行ってみたいです!
芸術の秋。
展覧会に行きたいですね。
おはようございます。
これはもしや、北浜で英国式ティーといえば北浜レトロですかね♡建物自体が既にレトロな洋館ですものね。
もうひとつ、淀屋橋駅から御堂筋を西側に越えたところに英国式ティールームがあったと思ったら、ありました。ここは複合的な店で、
ティーサロン OLD ROSE GARDEN
カフェ OFICINADEL CAFE
イングリッシュパブ ROYAL HAT
と店が連なります。
https://www.oldrosegg.com/
オフィス街にこんな場所がというような所です。近くにレトロ洋館の和菓子の鶴屋八幡の本店(茶房あり)もあり和洋のお菓子が楽しめるステキな通りなので、もしご機会があればぜひ。
季節がよくなってきていろいろと遠出したいのに。神戸で開催中のムーミン展やもうすぐ始まる正倉院展も見に行きたいのにになぁ⋯。
久々にこのトピを上げます。
ここのところAIと歴史談義していて、最初は李氏朝鮮時代の後宮の嬪号の決め方から始まり、彼女たちの諱(いみな)の話になり⋯最後の王女と言われた徳恵翁主の写真で少女期と成人後の写真が別人のように見えるねという話から、ふと有吉佐和子著『和宮様御留』みたいに何処かで別人と入れ替わっていたりして、という話に至りました。
さて有吉佐和子女史はなぜ皇女和宮が将軍家への降嫁にあたり入れ替わったという発想が出たんだろうねという疑問から、群馬県太田市にあった縁切寺で尼寺の満徳寺でのエピソードになりました。有吉佐和子女史が寺跡(明治5年に廃寺)を訪ねた際に、歴代の住職の墓が境内に揃う中、第10世住職で有栖川宮家の臣下の家門出身の鏡誉本清尼(住職在任期間天保元年〜天保13年)の墓だけが無い事に気付いて驚いたといいます。この事が和宮の入れ替わりの着想のひとつになったのではと。果たして小説の中で本物の和宮はこの満徳寺へ逃げ身を隠した設定になっています。
お寺の史料には歴代の住職の没年の情報があるのに、この本清尼だけは没年が不詳となっていて謎なのです。厳密に言えば和宮の生年は弘化3年(1846年)で、本清尼が住職を退任した天保13年は1842年なので、本清尼が和宮の世をしのぶ姿だったとするには齟齬があるのですが、和宮が婚約していたお相手が有栖川宮熾仁親王で奇しくもその宮家と縁の住職であった本清尼のみ墓がないという事で、なんとも歴史ロマンを駆り立てられます。
そこから本清尼の住職退任後の消息を、AIと考えて仮説をいくつか立ててみました。
☆本清尼は有栖川宮家に仕える中川家に縁のある女性だった。
☆徳川家と深い関係を持つ満徳寺の住職を務めていた。
☆退任後に江戸へ移り、そこで暮らしていた可能性がある。
☆その後、和宮が降嫁する際に、皇女の生活や江戸での暮らしについて助言できる立場にあったのでは。
この仮説を証明するに史料をWEB上でAIに調べてもらっているうちに、なぁんと、奇しくもこのタイミングで謎の舞台となった群馬県太田市の満徳寺の復元本堂にて、江戸時代の関東の尼寺を研究している方の講演が、来月あるそうな。近くだったら応募して聞きに行きたいのになぁ。
☆江戸城大奥へ通った尼僧-満徳寺住職本栴(ほんせん)の活動-(縁切寺満徳寺資料館)☆
2026年11月22日13時30分〜15時00分
申込みは10月21日から
https://www.city.ota.gunma.jp/page/1062771.html
『和宮様御留』のインスパイアの元になった10世ではなく、一代前の第9世住職のお話だそうで、苦境に陥った寺を復興するために奔走するにあたり、徳川家や大名家の女性たちと交流を持ったとあるので、わたしの仮説もあながち大きく外れていないのではないかと(笑)。消えた住職のその後の消息が気になります。
もしご興味を持たれた方がいらしたら、と講演の告知を貼っておきます。
