この役人が密かに書き留めたエピソード。
金一鏡や睦虎龍など少論の過激派を処刑した1ヶ月後の事。
延ニン君が景宗の御陵の参拝へ向かう行幸の道の途中で、軍人の李天海という人が景宗は毒殺云々などと、大きな声で叫んで騒ぎを起こします。
李天海は尋問にかけられますが、その時の話は延ニン君が承政院の史官(二名)に記録を取る事を禁じたので、その日の承政院日記には書かれていません。
しかしながら当時、承政院教理という職にあった申致雲の発言を史官が書き留めていたため、これをこっそり引用する形で後生に伝わりました。
はてさて延ニン君が記録させなかった李天海の話とは。
それは「延ニン君は景宗を毒殺した罪人であり、自分はその事を告発する者である」(渺渺の意訳)
「延ニン君は(景宗を毒殺するために)宮中を出入りした」(渺渺の意訳)
これらの発言を「陰惨でとても口にする事はできない」と延ニン君は激怒して、史官に対し記録するなと圧をかけたという事です。
この李天海の発言の元ネタになったのが、先に紹介した、景宗の外戚の沈維賢の発言だったのです。
